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東京地方裁判所 昭和63年(行ク)10号 決定

申立人 新野義廣

右代理人弁護士 山田至

同 園田峯生

被申立人 文化庁長官 大崎仁

右指定代理人 金子泰輔

〈ほか七名〉

主文

本件申立てを却下する。

申立費用は申立人の負担とする。

理由

第一申立人の主張

一  申立ての趣旨

被申立人が昭和六三年三月一五日付けでした左記命令(庁保記第四四号)は、本件申立人、被申立人間の東京地方裁判所昭和六三年(行ウ)第三〇号行政処分取消請求事件の判決確定まで、その効力を停止する。

文化財保護法八〇条七項の規定により、史跡武田氏館跡に係る別紙物件目録記載の物件を、同月二一日までに撤去し、原状に回復することを命令する。

二  申立ての理由

1  処分の存在及び代執行の戒告

(一) 被申立人は、申立人に対し、昭和六三年三月一五日付けで、史跡武田氏館跡(以下「本件史跡」という。)内にある山梨県甲府市大手三丁目三七三一番の二及び同所同番の三の土地(以下「本件土地」という。)に申立人が設置した申立人所有の別紙物件目録記載の物件(以下「本件物件」という。)につき、文化財保護法(以下、単に「法」という。)八〇条七項の規定に基づいて、同月二一日までに撤去し、原状に回復することを命令した(以下「本件処分」という。)。

(二) 申立人は、本件処分につき、同月一七日付けで異議申立てをし、これに対し、被申立人は、同月二三日付けで右異議申立てを棄却する旨決定し、右決定書は、同月二四日申立人に送達された。

(三) 被申立人は、申立人に対し、行政代執行法三条一項の規定に基づき、同月二三日付け戒告書で、本件処分に係る本件物件の撤去及び原状回復を同月二八日までに行うこと並びにその履行がない場合には代執行をなすことを戒告し(以下「本件戒告」という。)、右戒告書は、同月二四日申立人に送達された。

2  本件処分の違法事由

(一) 法八〇条一項違反の不存在

(1) 本件土地は手沢啓の所有地であるが、同人は、同土地を数十年来畑地として使用し、その耕作範囲は深さ一メートルないし一・五メートルの部分にまで達していた。しかし、手沢は、その間本件土地の使用に関し、被申立人あるいは山梨県から法違反として追及されたことはない。

(2) 原告は、手沢から本件土地の使用権を取得し、本件物件を設置しているものであるが、その設置のための鉄パイプの埋込深度は三〇センチメートルないし四〇センチメートルであり、本件土地の地下に史跡があるとしても、当該史跡には何ら影響を与えるものではない。

(3) したがって、本件物件の設置行為は、法八〇条一項にいう史跡に関しその現状を変更する行為又はその保存に影響を及ぼす行為に該当するものではなく、また、仮に右行為に該当するとしても、同項但書にいう影響の軽微である場合であるので、同項本文の適用があるものではなく、同条七項の規定の適用の余地がないものであるから、同項に基づく本件処分は、処分要件を欠く違法な処分である。

(二) 憲法一四条違反

(1) 本件史跡は数十年前までは田畑として土地所有者が耕作していた土地であるが、その後、本件史跡内に漸次道路が整備され、民家などが建築されてきている。そして、昭和六一年秋ころには鉄筋コンクリート造りの建物が、昭和六二年夏ころには住宅及び店舗がそれぞれ建築されている。

(2) 本件物件は、絵馬及びこれに付帯する仮設構築物であるが、本建築物である右1の各建物が本件史跡内に存在にもかかわらず、本件物件についてだけ撤去を命じる本件処分は、憲法一四条に定める法の下の平等規定に違反する無効な処分である。

(三) 憲法二九条違反

本件土地の地下に本件史跡が存在することは、現在も確認されていない。このような状況において、法を発動し、個人の財産権の行使を制限し、介入する本件処分は、憲法二九条に定める私有財産権の保障規定に違反する無効な処分である。

5  回復し難い損害

本件物件が代執行により撤去されると、申立人は、本件物件を設置するために要した多額の費用が回収不能になるだけでなく、日々得られる営業利益が皆無になり、申立人の社会的信用が失墜することになるなど、回復し難い損害を被ることになる。

6  執行停止の必要性

被申立人は、本件戒告で通知するところによれば、昭和六三年三月二八日経過後は代執行を行う予定であるので、本件申立てを行う緊急の必要性がある。

7  よって、申立ての趣旨記載の決定を求める。

第二被申立人の主張

一  申立ての趣旨に対する答弁

主文同旨

二  被申立人の主張

1  本件処分の経緯

(一) 本件史跡は、甲斐武田氏三代(信虎、信玄、勝頼)が約六〇年間にわたってその本拠とした館であり、その中には、領主の館のほか、穴山氏等の重臣たちの屋敷跡が存するばかりでなく、館や屋敷を囲んでいた土塁や塀の跡が良好に残されていて、戦国大名の館及びその周辺の特徴をよく保っており、福井県所在の特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡と並び我が国の歴史上及び学術上重要な遺跡である。

そこで、文部大臣は、武田氏館跡及びこれと一体をなす物件の保存を図るため、昭和一三年五月三〇日に史跡名勝天然記念物保存法(大正八年法律第四四号。法の施行により廃止)一条一項に基づき史跡に指定し、右指定は、法一一七条一項により法六九条一項の史跡指定とみなされて今日に至っている。

(二) 昭和六二年一〇月末ころ、申立人から甲府市教育委員会社会教育課に対し、本件土地上に土産品の売店を設置したい旨の相談があったが、同課では、本件土地が本件史跡内の重要な地域に当たるので、法八〇条一項の現状変更許可を得ることは困難である旨指導した。

(三) 昭和六三年二月六日、地元住民から、本件土地上に本件物件が設置されている旨の通報があり、同月八日、山梨県教育委員会文化課及び甲府市教育委員会社会教育課が現地調査を行ったところ、申立人によって本件土地上に本件物件が設置されていることが確認された。

(四) 同月九日、山梨県教育委員会は申立人に対し、本件物件は法に違反するから撤去されたい旨の文書を手渡し、併せて、口頭で撤去方を指示した。

(五) 文化庁は、同月二二日、同庁職員による現地調査を行い、同月二五日、申立人に対し、文書でもって原状回復することを指導した。

(六) 申立人は、文化庁等による前記再三の指示、指導にもかかわらず、本件物件を撤去せず、本件土地において同月一九日から売店の営業を開始し、以後同営業を継続しているので、被申立人は本件処分を行ったものである。

2  本件処分の適法性

(一) 法は、文化を保存し、かつ、その活用を図り、もって国民の文化的向上に資するとともに、世界文化に貢献することを目的として立法された(一条)ものであることからすると、法六九条の史跡名勝天然記念物にいう史跡とは、我が国の歴史の正しい理解のため欠くことができず、かつ、遺跡の規模、遺構、出土物等において学術的価値がある遺跡等をいい、その保存に当たっては、史跡としての価値を損なうことのないよう周囲の環境、景観等と一体としての広域的、空間的保存が期待されているものである。

したがって、法八〇条一項の規定により文化庁長官の許可を受けなければならないとされている「現状を変更する行為」とは、指定がされた当時の現状の物理的変更を伴う一切の行為を意味するものというべきであるところ、本件物件は、地中に多数の鉄パイプを打ち込み、これを支柱として看板、ステージ等の仮設構築物を設置したものであり、これは土地の表面及び地中の現状を変更する行為に該当することが明らかである上、本件史跡周囲の環境、景観を一変させる行為に該当することも明らかである。

(二) 法八〇条七項は、原状回復命令を発する要件について、許可を受けずに現状変更行為がされたことのみを規定し、その他の要件は何ら規定していないものであり、現状変更行為がされた場合に、被申立人が右命令を発するか否かは、その裁量に委ねられているものである。

本件土地は、館跡の主郭の東南に接しており、宝永年間に作成されたと推定される古城址古図によると、武田氏の重臣である穴山梅雪の屋敷跡に比定されているところで、本件史跡内では主郭の地域に次いで重要な地域に位置している。また、本件史跡は、主郭及びその周囲を重臣の屋敷が取り囲んでいるところに一つの特徴があるものであり、その中にあって、主郭に接する本件土地は、その位置のみをもってしても極めて重要な部分であるということができる。しかも、本件史跡内においては、土塁や塀の跡が良好に残されており、これらは主に地下遺構として保存されており、本件土地の周辺においても、現実にこのような地下遺構が発見されている。

また、国及び山梨県は、以前より本件史跡の保存整備を図ることを予定し、本件史跡内の土地の買収に努めてきており、現在指定内の土地の約一六パーセントに当たる二万七七四八平方メートルの土地の買収が完了している。本件土地についても、本件史跡に占める価値の重要性に鑑み、買収予定地として以前から所有者との交渉を継続してきたものである。

しかるに、申立人は、本件史跡にとって以上のとおりの重要な意議を有する本件土地に、事前の指導を無視し、被申立人の許可を得る手続きを何ら採らずに、本件物件を設置して、昭和六三年二月一九日から売店を経営しているものである。

被申立人は、以上の諸点を考慮して本件処分を行ったものであり、これは被申立人が適正にその裁量権を行使したものといえるものであり、裁量権の逸脱、濫用とされる余地はない。

3  憲法一四条違反の主張について

文化財保護に当たっては、本件史跡内の関係権利者の財産権を尊重しなければならない(法四条三項)が、本件史跡内の建物は、史跡指定後に建築されたものとは限らない上、史跡指定後であっても、法八〇条一項に基づく許可申請がされれば、建築予定物の構造、建築の必要性、建築予定地域の史跡における重要性等を個別に考慮し、場合によってはこれを許可して関係権利者の財産権との調和を図らざるを得ないことも当然有り得る。したがって、本件史跡内に建物が存在するとしても、これらと、右の許可申請手続もせずに現状を変更した申立人の場合とは、比較可能性がないというべきである。

4  回復困難な損害を避けるための緊急の必要性の不存在

(一) 本件物件に対して代執行がされるとしても、それは行政代執行法が本件処分に代執行適格を認めた結果にほかならないのであって、代執行はいわば本件処分の当然の結果であるから、代執行によって当然に生ずる損害を回復困難な損害ということはできない。また、申立人は、代執行を受けることにより申立人の社会的信用が失墜するというが、いかなる社会的信用が失墜するのか判然としないだけでなく、仮に社会的信用が損なわれることがあるとしても、単に代執行を受けたという事実から生ずる信用の喪失は軽微であるといわざるを得ないし、後に本案訴訟で申立人の主張が認められることによって、回復されることが可能な一時的損害というべきである。

したがって、申立人主張の損害は、行政事件訴訟法二五条二項の回復困難な損害には当たらないというべきである。

(二) 本件物件の設置に要した費用が回収困難となるとの点については、本件物件の設置状況からして、その設置費用が多額であるものとは考えられず、損害が生じたとしても軽微なものである。また、本件物件に対して予定される代執行は、本件物件の材料等を破壊、毀損することなく行うものであるから、回復困難な損害が生じることもない。さらに、申立人が代執行によって財産的損害を被ったとしても、国家賠償請求により右損害が填補されるから、およそ回復困難な損害ということはできない。したがって、これを避けるための緊急の必要性も存しないものである。

第三当裁判所の判断

一  本件処分の存在等及び本案訴訟の提起

疎明によれば、申立ての理由1の(一)ないし(三)の事実(本件処分の存在及び代執行の戒告)が一応認められ、申立人を原告、被申立人を被告とする本件処分の取消請求の訴えが提起されていることは、当裁判所に顕著な事実である。

二  法と本件物件の設置の関係について

1  疎明によれば、本件土地は、昭和一三年五月三〇日に史跡名勝天然記念物保護法一条一項に基づき文化財である史跡に指定された(後に法一一七条一項により法六九条一項の史跡とみなされた。)武田氏館跡(本件史跡)内に所在する土地であることが一応認められる。

2  法は、文化財を保存し、かつ、その活用を図り、もって国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的として定められたものであり、文化財のうち、史跡は、歴史上又は学術上価値の高い遺跡等の一定の地域で重要なものにつき指定されたものであるから、指定に係る土地地域全体の状況も法の保護の対象となっていると解されることはいうまでもない。

このような法の目的等に鑑みると、法八〇条一項において許可を必要とする現状を変更する行為とは、当該史跡の指定当時の現にある状況に対して物理的に変更を加える一切の行為を指すものと解するのが相当である。そうすると、指定に係る土地そのものの区画形質を変更することはもとより、その地上又は地中につき、そこに現に存在する物を取り除いたり、そこに新たに物を設置したりなどする行為はすべて右の現状を変更する行為に該当するものということができる。

3  疎明によれば、本件土地は、本件史跡の中心部を占める武田氏館の主郭の存在した土地(現在は武田神社の境内地)に道路を挟んで接する一団の平坦な土地(ただし、道路より一段低く、本件土地内には段差がある。)であること、本件物件が設置される以前は本件土地の所有者手沢が畑地として耕作していたこと、申立人は昭和六二年一二月ころから手沢から本件土地の利用の承諾を得て、昭和六三年二月初めからこれを借り受けたこと、申立人はその後すぐに申立人所有の本件物件の設置工事を開始したこと、本件土地の現状及び本件物件の設置状況は、本件土地のうち道路に面した部分に沿い、看板等が架けられるような鉄パイプの枠組(別紙物件目録一の鉄パイプ構築物に該当するもの)が作られ、同枠組に武田信玄縁りの絵など(同目録一の鉄パイプに付設された物件に該当するもの)が掲げられており、その一部は道路と等高に床(同目録四の売店設置用ステージに該当するもの)が作られ、テントのような形態の屋根を付けて売店用の場所とし(同目録四の売店に該当するもの)、鉄パイプの枠組の後ろ側に仮設トイレ三基(同目録二に該当するもの)及びプレハブ製の小屋(同目録三に該当するもの)が設置されていること、右鉄パイプは地中に打ち込まれて支持されていること、その余の部分は雑草が生えた状態の更地であることが一応認められる。

右によれば、申立人が行った本件物件の設置行為は、本件土地の現状を変更する行為に該当するものということができ、法八〇条一項により被申立人の許可を受けなければこれをすることは許されないものといわなくてはならない。

なお、申立人は、本件物件の設置行為が本件土地の現状を変更する行為に該当するとしても、同項但書にいう影響の軽微である場合であると主張する。しかし、同項但書は、史跡等の保存に影響を及ぼす行為に関して、同項本文の許可を要しないとする例外を定めるものであるから、現状を変更する行為に該当する本件物件の設置行為については適用の余地はない。

三  本件処分の適否

1  疎明によれば、申立人は、本件物件の設置行為について、法八〇条一項に基づく許可申請手続をとっていないことが一応認められる。

そして、疎明資料によれば、本件処分の経緯は、被申立人の主張の1の(二)ないし(六)のとおりであること、本件処分は同処分を行うための手続として法で規定する文化財保護審議会に対する諮問(八四条の二第二項)、公開による聴聞(八五条)の手続を経て行われていること、本件史跡及び本件土地の歴史的状況及び本件史跡に対する国及び山梨県が行っている対応等は、被申立人の主張の2の(二)の第二段及び第三段のとおりの状況にあることが一応認められる。

2  右によれば、法八〇条七項による原状回復命令についての要件は充足されていることは明らかであり、その場合に、原状回復命令を発するか否かは、被申立人の裁量に委ねられていると解されるところ、右にみた本件処分の経緯及び本件史跡に関する行政の対応等に鑑みると、本件処分において被申立人に裁量権の逸脱又は濫用があるとは到底いうことはできない。

3  申立人は、本件史跡内に道路が築造され、本建築物である建物が建築されている事実をとらえて、本件処分は憲法一四条の法の下の平等規定に違反すると主張する。

しかし、申立人指摘の建物等の築造建築に関して、法八〇条一項の許可を経ていないことについては疎明がない。そうすると、同項の許可を経ていないことが明らかな本件物件の設置行為と申立人指摘の建物等の築造建築とは同様の事態にあることが疎明されていないから、右主張は、その前提を欠き失当である。

4  また、申立人は、本件土地の地下に本件史跡が存在するか否か確認されていない状況において本件処分を行うことは、憲法二九条に違反すると主張する。

しかし、前記二の2で述べたように、法八〇条一項の現状を変更する行為とは、史跡として指定された土地の現にある状況に対して物理的に変更を加える一切の行為を指すものであり、必ずしも地下遺構等自体に対する影響との間に個別的具体的な因果関係を要するものではないというべきである。そして、史跡として指定された土地につき現状変更行為が禁止されるときは、従前の使用以外の使用目的をもってする権利行使の自由が制限されることによる消極的損害が生ずる可能性があるが、この制限はそもそも文化財を構成する財産自体に内在する社会的制約によるものというべきであり、法の目的及び本件史跡の歴史上、学術上の価値の貴重性に鑑みれば、法において史跡内の土地の現状変更を許可に係らせて、文化財の保存を全うすることは、公共の福祉に適合するものであるといえるものである。本件土地に係る制約はかかる制約であることに鑑みると、法八〇条五項により損失の補償を受け得るかどうかはともかく、本件処分が憲法二九条に違反するものとは到底いえない。したがって、右主張も失当である。

5  その他、本件処分を違法とするに足りる事実を窺わせる疎明はない。

四  以上によれば、本件申立ては、本案について理由がないものとみえるから、理由がないものというべきである。

五  結語

よって、本件申立ては理由がないから、これを却下することとし、申立費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 鈴木康之 裁判官 佐藤道明 青野洋士)

〈以下省略〉

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